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 六章 雷鳴駆けて天を裂く (1) [ きみのたたかいのうた ]

 カカシは笑んでいる。
「卑留呼の残留思念に会ったよ」
 がたがたと震える体を捕えたまま、さらりと告げられた。
「卑留呼……」
 恐怖に染め抜かれていたナルトの思考に、その名が浸透するまで一拍を要した。
 そうだ。元はと言えば、ナルトが未来へ飛ばされたのは彼が原因の可能性が高い。
 カカシの異変に思考がいっぱいいっぱいで、考えることさえ忘れていた。
 卑留呼に会った。
 背筋を凍らせる恐怖を振り払い、ナルトはカカシを仰ぐ。
「卑留呼は、何て」
「月が欠け始めたら」
 ぽつり、呟かれる。
「扉が開くと言っていた」
「……扉」
「察するに、時空間の扉ってとこかな」
 色のない答えが返されるが、ナルトはそれどころではなかった。
 それは、つまり。
「帰れる……?」
 思わず喜色が浮かんだ。
 忘れた────考えないようにしていた。
 この世界の異変も気になるけれど、やはりナルトが生きるのは、ここより過去の時間であり、ナルトにとっての現在だ。
 帰れる。はっきりと示された道筋に、歓喜さえ覚え。振り仰ぐようにカカシを見たナルトは絶句した。
「帰れる、って何」
 凍りつきそうなほど冷たい目が、ナルトを見ていた。
「先生……?」
 吹き飛んでいた恐怖が瞬く間に甦る。
 先程までの、どこか歪んだようなさまとも比べ物にならない。純粋な狂気がその眸に宿っていた。
「帰れると思ってるの」
 いびつな笑みが青白い容貌に浮かぶ。
「オレが、帰すと?」
 くつくつと笑う。
 何かのスイッチが入ってしまったかのように、カカシが嗤う。

 その光景が信じられなくて。
 ナルトの頭をくしゃりと撫でて。調べてみるから、思いつめるな、と。言ってくれた。
 信じたくて。
「カカシ先生……何、言ってるってば……? オレの時間は、ここじゃない……先生だって、知ってるはずじゃん……オレにとって、ここは、未来で、」
 喉につかえそうになりながら、どうにかナルトは言葉を吐き出した。
「だから?」
 無慈悲に遮られる。
「お前は、ここにいるでしょ?」
「先生」
 噛み合わない。
「ここに、いるじゃない」
 腕を掴まれる。
 咄嗟にナルトは振り払おうとした。
 カカシの気配がぎちりと怒りに染まる。
「許さないよ?」
 床に叩きつけられる。
 痛みに顔をしかめる間もなく、腕を一まとめにされた。
「オレは、許さない」
 その目は怒りにぎらついているのに、何故だろうか。
 どこか焦点の合わない、遠くを見ているような目に、覚えがある。そう思った瞬間、体の芯まで凍みるような恐怖は霧散していた。
 ぎらりぎらりとナルトを睨み付ける目だけが光る、カカシの能面のような顔が、まるで泣いているようではないか。
 怒りの奥に巧妙に隠されているのは、────怯えだ。
 カカシは、怯えている。
 ナルトがいなくなることに。
 看過したナルトの変化を疎ましいとばかりに、カカシは舌打ちすると、ぐいと顎を持ち上げる。
 思わず開いた口に、無遠慮に濡れた舌が押し込まれた。
「んんー……っ」
 熱い舌が遠慮なく口内で暴れまわる。
「ふ……っ、ん、う……っ」
 息苦しさに反射的に胸板を押し返せば、頭を鷲掴まれ強く押し付けられた。
 逃げる舌を絡め取られ、吸い上げられる。飲み込みきれない唾液が口から溢れ、首筋を伝う。
 五日ぶりのキス。
 激しさを増す一方のそれは、ナルトの呼吸など顧みない。
 次第に朦朧とする意識の中で、ナルトはやはり、カカシは怯えているのだと思った。
「……は、あッ」
 ようやく解放され、一気になだれ込んできた酸素にむせ返る。
 どうにか呼吸を整えると、先程までの激しさが嘘のように、カカシは俯いていた。
 銀の髪に隠された顔、肩が微かに震えているのは目の錯覚ではないだろう。
「許さない……また(・・)、オレを置いていくなんて」
 弱弱しい声が、耳朶を打った瞬間────


 轟音を立てて、玄関が蹴破られた。


「……は」
 二階にいてさえ驚愕するような破壊音。
 その衝撃でぐらぐらと家の骨組みから揺れるのを感じる。
 切羽詰ったような、張り詰めた空気が一気に消し飛んだ。
 気が付けばカカシも、何が起こったのかわからない、というような風情で呆然としていた。
「カカシ先生ェーッ!!」
 ごうごうと響く怒声は、大人びていたが、ナルトが聞き間違えるはずもない。
 サクラの声だ。
「いるんでしょ、あがるわよッ」
 カカシ相手に返答などはなから期待していないのか、サクラは大声で告げると足音も荒く上り込む。迷いなく階段を駆け上がり、ナルトを床に縫いとめたままのカカシを見下ろした。
 噴き上がる怒気を纏ったサクラは、ナルトに目を留めて、大きく目を見開き。
 前触れもなくぼろ、と涙を溢れさせた。
「先生、何考えてるの?」
「ッサクラ!」
「ナルトは、死んだのよ。カカシ先生」
 教え諭すような口ぶりに、何故か狼狽したのはカカシのほうで。
 戒める手の力が緩んだのをいいことに、ナルトはカカシを押しのけた。
 いとも容易くカカシの拘束から逃れたナルトは、仁王立ちするサクラの横をすり抜け玄関へと向かう。
 背後から二人が名を呼ぶのが聞こえたが、知らぬふりをして外へ飛び出した。



 サクラの口から知らされた己の死に衝撃はなく、ああやはり、という思いが強かった。部屋を見た時からある程度、確信していたのだから。
 走っていた足を止める。
 逃げるように出てきた。何から逃げたのか。
 泣いていたのはサクラだった。
 泣くことさえ忘れたような顔を見せたのはカカシだった。
 胸が痛い。ずきずきして、呼吸が苦しい。今までで一番、痛くて、かなしい。
「……カカシ先生ェ」
 ナルトはしゃがみこんだ。
 どこをどう走ってきたものやら、里の外れまで来てしまっている。息を吐いて、辺りを見回してナルトは愕然とした。
 曲がりなりにも忍五大国の一つ。円状に広がる、その隅まで活気に満ちていた里の姿はどこにもなかった。
 うらぶれた通り、割れたままの窓ガラス。この一帯に人の住む気配は絶えて久しいと一見して分かる。
 見上げてナルトは更に驚愕した。
 里の象徴、火影岩が割れている。修復された後から、更に壊されたと如実に分かる破壊痕。まともな形を残しているのはわずか一つ二つばかりで、何人刻まれていたのかさえ定かではない。
 木ノ葉の誇りが蹂躙されたまま、放り出されている。
 黒い煙が里のどこかから上がっているのが青空によく見えた。

 ひゅう、と喉が鳴る。
 忍界大戦だと言っていた────里の、この荒廃はなんだ。
 第三次まで続いた大戦中でさえ、顔岩が破壊されることは木ノ葉を侮辱されることと、その威容は常に保たれていたと聞く。
 風に乗って運ばれてくる血と硝煙の臭い。カカシの服にいつも染み付いていた。
 ゆるゆるとナルトは首を振った。
「何だってば、これ……!」


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